会員の賀川良様ご制作の精神病を扱った映画「Michiko」が、
インド・タゴール国際フィルムフェスティバルで評論家賞を受賞されました
★私は統合失調症で入院していました。
作業療法していた時、投げ出したいと思ったとき、本当に治るのだろうか?
そんな思いが日々、頭に浮かびました。
実際治った人間がいると聞き、会ってみたいと思っていました。
しかし、その話を聞いた後、当人が入院してくるという事態になり、落胆しました。
今回、映画を制作するにあたり、いくつかの困難がありました。
金銭的な困難、人的困難。
私が、一番つらかったのは人的困難でした。
ある俳優さんが、映画を途中まで映像を撮影したにもかかわらず、降板した時のことです。
そして、撮影したフィルムを、ほとんど廃棄しなくてはならない事態に、追い込まれました。
私自身の手際の悪さが俳優さんとのトラブルに発展したのだと、今は考えております。
俳優さんとの交渉やフィルムの廃棄は涙を飲む思いでした。
それは、そのシーンの俳優さんと、ほかの俳優さんの映像も廃棄を意味します。
「人は、困難の中でどうにか生きているに過ぎない。」
しかし、そこから逃げるとまた次の困難が襲ってきます。
一番良い解決法は、そこから逃げないことです。
目の前に来た困難に立ち向かってゆくことです。
これは私が精神病院に入院しているときに、担当の先生から教えられたことです。
私は、死を選んだり、病院に逃げ込んだり、自分が治癒することを放棄したらだめなんだと
いうことをお知らせしたいと考えています。
賀川良 略歴
1955年東京生まれ
アーティストの家に生まれる
父は画家。
母は作家。
彼は3歳でポリオになる。
大学卒業直後、統合失調症で精神病院に入院。
30年のリハビリ後、完治。
その後、アート活動を始める。
東京の国立新美術館で開催された絵画の公募展(三軌展)に2回選ばれる。
東京都美術館の公募写真展入選(総合写真展)
精神病院の経験を生かし、独立した映画製作に入る。
現在に至る。
また、インドのラージャスターン州では、
インドの友達と一緒に未就学児童を支援する活動を行っている。
「Michiko/祈りの花」あらすじ
須賀川良と道子の純愛物語
道子は苦労して秋田の短大を卒業し、上京、働きながら英語をマスターした。
道子は、英語で国連やユニセフなどの国際機関につとめ、世界の子供たちに奉仕しようと考えていた。
そして、学生の時、インドに研修旅行に行き、インドの未就学児童支援機構(NGO)の代表カーンとあう。
一方、須賀川良は裕福な家庭に生まれ、何不自由無い生活を送っていた。須賀川は有名大学を経て 、某一流ゼネコンに親のコネクションで入社し、 海外事業部企画室課長補佐という、そこそこの地位に就いていた。
そして、道子と出逢い結婚した。数年後、道子はその生真面目な性格から統合失調症を発症し、 入退院を繰り返す日々を送る様になっていた。
須賀川はそんな道子を看病しながらも、心の奥底で、道子の病気治癒に困難を感じ、自分の妻を治してやれない 無力感を感じていた。そして・・・・・。





